感想を語るための熱量と文章力が欲しいと思った話です。
感想を語ったのはいいけれど…
文章にすると熱量が消えるな、と漠然と思った事があります。
商売的な意味でなく、ごくごくハードルの低い、このゲームをやってほしいとか、この本を読んでみて欲しいとか。
こんなところが面白いとか、こういうところが素晴らしいとか。
話す上では言えなくはないんだけれど、これを文章にして伝えようとすると上手くいかない。
こないだ好きな○○10をやったけど、後から読み直したらちょっといまいち。
会話の上で簡単に話をする事は出来たとしても、このシーンのこの部分がどうとか、具体的に文章を書くと何処か…つまらない。
想いを口にする事は出来るし、良い悪いを箇条書きで書くのは簡単だけど、この文章を読んで、このコンテンツに対して面白そうだ、と思うのか?と言われると正直難しい。
読書感想文を終わらせるために感想文を書こうとして、結果的にあらすじ以下のものしか出来上がらない…(小学生の時そうでした)。
あの感じに凄く似ていました。
つまり…今になっても『読書感想文』が下手なのかもしれない。
どうしてそう思ったのか
最近になって、色々な方が書いた感想を読んだのですが。
物を語るときの熱量が違い過ぎる…
このコンテンツにかけるエネルギーの差なのか、思いの差なのか、書き手の力量の差なのか。
同じものを見たはず、読んだはず、やったはずなのに、改めて見てもわたしにはここまでの文章は書けない。
もう同意しかない。
こういった感想を上手く語れる人が心からすごいと思う。
ちなみに、私的にはネタバレについては『自分が読むにはそこまで気にしないけれど、自分が書くにはなるべく避けたい』感じです。
不満はあっさり書けてしまう
先日某エントリでもやもやした事を書いたのですが、案外あっさり書ききれた。
あれが良いものかどうかは別として(本当に不満しかなかったので)…。
不満や嫌な事って案外エネルギーの塊なんでしょうね。
変な話、amazonのレビュー(これを例えにするのもどうかと思うところはあるけれど)なんて、不満点の方が長々と書かれていて、★の数よりも不満点の文章に目が行ってしまう。
あ、そういえばamazonはブラックフライデーでしたね。
私はアイリスオーヤマの椅子だけ買いました。
あれも買う人によっては散々な評価だったんですが、個人的な用途としては100点だったので★5つあげられる。
座り心地も悪くないしね…あとはしばらく使ってみてどうか、かなあ。
おわりに
すごく『高い山を見てしまったから』こういった思いになったところもあるのだけれど、これが私が超えるべきものなのかというと、それはまた違う。
そこを履き違えると色々なものから逃げ出したくなってしまう。
…でも文章はちょっと勉強しよう。せっかくお得にkindle unlimitedが使えるんだしね…。